文部科学省補助事業 ポストコロナ時代の医療人材養成拠点形成事業

筑波大学・東京医科歯科大学

文部科学省補助事業 ポストコロナ時代の医療人材養成拠点形成事業

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サイトビジットレポート①(神栖市)

筑波大学医学医療系 矢澤 亜季先生が茨城県神栖市にある2つの施設の視察に行かれました。

1.視察目的

神栖市では神栖済生会病院を中心として、医師不足地域でありながら地域医療を支えるための様々な工夫がなされている。今回、児童発達支援にプラスして様々なコミュニティの健康増進活動をしている多機能型事業所「くるりん森」、鹿島工業地区で働く人々の健康を増進し、医師を同地区に呼び寄せるため神栖産業医トレーニングセンターを設立された産業医を訪問し、神栖済生会病院による訪問診療を含む総合診療医による診療業務を見学させていただいた。

2.視察施設名

くるりん森(茨城県鹿嶋市宮中4959-2)

神栖済生会病院(茨城県神栖市知手中央7丁目2−45)

3.視察内容

 くるりん森では、障がいのある子どもや不登校に陥ってしまった子どもに居場所を提供しているが、特につまずきなく育っている子どもにも広くくるりん森を開放し、遊びに来てもらうことで、社会の中に自然と障壁なくお互いが存在できるような環境を経験させることを目指している。また、アルコールや薬物の依存治療センターにてリハビリ中の人たちに来てもらい、子どもたちにエイサー太鼓を教えてもらったりしており、子どもたちの貴重な経験となるだけでなく、社会から孤立しがちな依存症患者にとっても人の役に立つ喜びを感じる機会となり、温かい循環が生まれていることなどを伺った。このように境界を儲けずインクルーシブな社会を幼少期から経験させることで、大人になってもしなやかな人材に育つはずであるという仮説は、研究によって実証する価値があるかもしれないと感じた。つまり、幼少期にいわゆる社会的弱者と呼ばれるような立場にある人と友人であったり、そういう人に助けられた経験があることが、青年期・成人期において精神的なしなやかさをもたらすのではないだろうか。こういったことがもし実証できれば、多様かつインクルーシブな社会が、つまづきのない人を含めて全ての人にとってメリットがあることを示す一つの根拠となりうるだろうなどと思索をめぐらせた。

また、AGC(株)産業医の田中先生へのインタビューでは、先生が構想している健康診断、産業医、外来診療を一本化し、働く人々の疾病を未然に防ぐ予防モデルについて伺った。神栖市は鹿島臨海工業地帯の一角を担い、特に石油化学コンビナートを擁する大企業の工場が軒を連ねている。現状産業医は歩合制で収入を得ており、件数及び企業規模ごとに価格が決まっている。そのため、大企業に産業医が集中しており、いわゆる生活習慣の悪さや社会経済状況の悪い人が多い中小企業には産業医の手が十分に及ばず、健診受診率の低さ、ひいては健康状態の悪さに見られるように、健康格差が拡がる一因となっている。こうした歩合制をやめ、神栖済生会病院が中心となって産業医のトレーニング・派遣をし、派遣先企業で健診受診を進め、そこで問題のあった人を直ちに外来受診に繋げるという循環を作ることで、健康管理が行き届く上に病院にとっても利益が増すというモデルである。このモデルが実際に働く人々の健康を増進、あるいは健康格差を縮小させることに繋がり、病院や工業地域にとってもメリットを生むことが実証できれば、こうしたモデルは日本の他の地域にも応用可能であろうと考えた。

4.感想

訪問診療では、あと数ヶ月しか持たないだろうという二人の患者さんの診察に同行させていただいた。一人は高齢の直腸がん患者で、頭はしっかりしており、話もしっかりとできた。もう一人はまだ40代で、1年に渡る受診控えの結果末期がんを患ってしまったということだったが、声も大きく弱り果てた感じはしなかった。まさか二人とも数ヶ月の命とは私には思えず、それはご家族も同じであろうと思うと胸が苦しかった。しかしながら、病院に入院して忙しい合間を縫って面会に行く生活の中、ふと危篤の知らせが来てぷつりと亡くなるというよりは、訪問診療で自宅にいながら医療が受けられ、徐々に死を迎えられるというのは、もちろん負担と天秤にかけなければならないが、家族にとっても納得感が少しは増すのではないかと感じた。

神栖済生会病院での医師の生活は、思った以上にハードだった。今にも亡くなりそうな患者とその家族の相手を複数抱えながら、新たな患者も受け入れ、時に同病院内の専門医に意見をもらいながら診療方針を決め、がんの告知をし、研修医のフォローをし、合間に午前中の訪問診療の記録をカルテに書き込みながら数分おきに鳴るPHSを捌いていく。私が付いていた医師は若い女性で、妊娠中の私から見るに、プライベートは一体どうするのだろう、この生活は一生は続けられないだろうと思った。医師だけでなく周りのスタッフも常に忙しなく集中し続けて働いているようだった。病院での働き方は相当改善が必要なのではないだろうか。

くるりん森での山下先生との対談
訪問診療に向かう濱田先生と私