文部科学省補助事業 ポストコロナ時代の医療人材養成拠点形成事業

筑波大学・東京医科歯科大学

文部科学省補助事業 ポストコロナ時代の医療人材養成拠点形成事業

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サイトビジットレポート①(横浜市寿町健康福祉交流センター診療所)

筑波大学医学医療系地域総合診療医学 小曽根 早知子先生が横浜市寿町健康福祉交流センター診療所に視察に行かれました。

1.視察目的

近年、医学教育の中では患者の診断・治療のみではなく、その背景・経緯を探り、健康の社会的決定要因(SDH)の視点から、なぜその患者がそのような状況になったのかを考察することが求められている。日本有数の簡易宿泊所が立ち並ぶ地域の1つである横浜市中区寿町にあるプライマリ・ケア診療所の視察を通し、SDHへの理解を深めて学生教育に生かすとともに、選択CC実習の受け入れの可能性を検討した。

2.視察施設名

横浜市寿町健康福祉交流センター診療所(〒231-0026 横浜市中区寿町4-14)

3.視察内容

1)寿町の背景

視察するにあたり、診療所に勤務する金子惇先生より事前学習用の書籍として『寿町のひとびと』を紹介された。この本では、寿町の歴史や変遷、この地域に住む方々、活動してきた方々のことが紹介されている。詳細は書籍等に譲るが、寿町は横浜の中心地(中華街や横浜スタジアムなど)のすぐ近くにある。第二次世界大戦中に空襲で焼け野原となり、戦後は米軍に接収された。接収終了後に寿町に職業安定所が移転したことを契機に、その周辺に簡易宿泊所が建設されるようになり、200m×300mほどの限られた地区に港湾労働に携わる日雇い労働者が大勢移入したことで簡易宿泊所が立ち並ぶ街が形成された。大勢の日雇い労働者が居住した時期(開拓期のアメリカになぞらえて「西部の街」とも呼ばれた)から、70年代のオイルショックなどを経て、現在では住人の大半が高齢化し、単身高齢男性が大多数を占める町になっている。一時期よりは人口は減っているようだが、現在でも6000人ほどが暮らしている。今回お話を伺った方々によると、寿地区の高齢化率は60%に迫り、住人の95%以上が生活保護受給者で、男性であり、ほとんどが家族などとの縁故がない状態であるという。高血圧、糖尿病などの生活習慣病の他、アルコール依存症、精神疾患を有する方の割合が非常に高い。居室は一般的には3畳間で、トイレ、簡単な炊事場、コインシャワー、コインランドリーは共用で、一泊1700円程度(光熱費込み)が相場である。(1700円/日は生活保護費での住宅扶助の金額5万円/月程度に準拠して設定されている。)

2)今回の視察内容

今回伺ったのは公益財団法人横浜市寿町健康福祉交流協会が運営する横浜市寿町健康福祉交流センター、診療所である。交流センター1Fにはラウンジ(テレビ、将棋などがある)、図書コーナーがあり、2Fには診療所、院内薬局、健康コーディネート室(まちの保健室)、一般公衆浴場(1回500円)、共同スペース、事務室などがある。コーディネート室以外の入り口には警備員が配備されている。1Fと2Fをつなぐ廊下には過去の写真がパネルになって掲示されている。この中には、センター診療所の前身のクリニックで勤務した「女赤ひげ先生」の写真もあった。(生保でもなく健康保険がない人にも「払える時払い」で医療を提供した)

・健康コーディネート室、炊き出し

健康コーディネート室には保健師2₋3名(横浜市職員を定年退職した保健師など)が勤務し、血圧測定や市から届けいた書類の問い合わせなどに対応する。連日訪れる人もいるという。案内していただいた保健師さんは、元市役所職員で、割と最近にここに勤務するようになったという。市役所時代に人権教育の一環で何度か寿町を訪れたことがあったという。この地区は地元の人からは立ち寄ってはいけないところだと注意される。実際、どうしてここで働くのかと言われることもある。対象者と適度な距離を保ってうまく立ち回る必要があるためある程度経験を積んだ人が勤務したほうが良いと思う、という。対象者は決してコミュニケーションが得意な人たちではないので、ご自身も、勤務を続けることでだんだんと馴染んで言った感じがするという。

最近では要介護認定を受けて介護サービスを利用している人も多い。要介護度は実際よりも高めに設定されサービスを利用している人が多い印象だという。生保で保険料の自己負担がなく「とりっぱぐれがない」からではないか、とのことだった。

1Fのラウンジでは椅子に座って野球中継(この日は大リーグエンゼルスの試合)を見る人、テーブルで将棋の対局をする2組とそれを周りで見る人たちがいた。将棋、囲碁は大人気で、夏でなければ建物前の広場でも将棋をするという。小さな図書コーナーもあり、本も人気だという。腰が悪い人も多く移動に自転車を使う人が増えている。缶ビールを飲みながら自転車でセンターに乗り付けてくる人もいた。

近くの広場では10時からの教会による炊き出しの準備が進められていた。準備する人たちは3-4人の男性、大きな鍋3つほどに肉団子スープを300食用意しているという。広場にはすでにぐるりと列ができて100人以上が並んでいる。本来炊き出しは路上生活者のために開催されるが、案内の保健師さんによるとほとんどが簡易宿泊所の住人だという。ほとんどが男性だが、時々高齢女性も混ざっていた。

午前の診療が終わった昼頃、出入り禁止の男性がセンターの1F入口と2F診療所の警備員に止められて扉を蹴り、警察官を呼んで収めることがあった。問題の男性はセンターのスタッフの間では有名な人のようだった。

・精神科外来

診療所では矯正医官など刑務所内で診療する精神科医が非常勤で毎日診療している。彼らにとっても、出所後の人を診療できる点で実益を兼ねるという。患者には、うつ病、適応障害、パニック障害、不眠症、アルコール依存症、認知症、統合失調症などの人のほか、犯罪歴・逮捕歴がある人、覚せい剤使用歴がありフラッシュバックを経験する人なども一定数いるようだった。

・内科外来

内科外来は多くは2診で行うが木曜日は1診だった。糖尿病、高血圧、アルコール性肝障害、脳梗塞後、COPDなど慢性疾患の人が多い。ヘルパー同伴で車いすで受診する人もいる。足の傷や背部粉瘤など、傷などの処置を要する人も多く、午前の早い時間には2-3人が並行して処置室で処置を受けていた。爪切りが自分でできない人も多く、処置室で看護師に爪切りをしてもらっていた。多くが生保の60-80代男性だが、中には自己負担がある保険の人もいた。予約制ではないが、精神科でも内科でも、次回の受診日をその場で医師が紙記入して手渡していた。

この日は内科は一診だが患者数は割と多く、特に午後はコロナワクチン接種の人、傷の処置が必要な人などもあり処置室と診察室を頻繁に出入りしながら診療を行っていた。合間には下血があった高齢患者が車いすでヘルパーと来院し、●●病院には行きたくないが別のところだったら行く、とのことで翌日紹介受診することとなった。先に看護師が予診を取り血圧測定を行ってカルテに記入しているため、診察時間は長くないが、逆に患者側も必要以上に会話をする性格ではない人が多いようだった。

なお、この地域では結核ハイリスク検診があり、対象者は年1回胸部X線撮影を行っているという。X線撮影をしていく人もいた。

・看護師によるDOTSと患者宅訪問

内科診察室の奥側には看護師によるDOTSを行う小さなブースがあった。抗結核薬だけでなく、薬が自己管理できない人の高血圧・糖尿病の薬、インスリンなどを診療所で管理して毎日受診して服用している。数十人分は管理しているようだった。薬は基本的には院内薬局での院内処方だという。

DOTSと内科外来のため午前の受付をしたもののその後帰ってしまった高齢男性患者がいた。DOTSではGLP-1受容体作動薬を週1回皮下注射しており、今日の受診が望ましいとのことで、看護師が患者宅まで迎えに行くことになり同行した。住所はセンター裏数軒先にある簡易宿泊所の一室。本来は2人態勢でスマホを持参して行くというが、今回は看護師1人と私とで行った。センターを出る際には各職員に会うたびに「●●さんのところに行ってきます」と声をかけてから出かけた。(午後に同行した看護師によると、身の安全のためと、戻りが遅い場合にサポートをもらうためだという。頻繁ではないが、時に行った先で救急車を依頼する必要がある場合もあるため本来は複数人体制で訪問する。)昼の時間でその建物の帳場さんは不在、エレベーターで4Fまで上がり患者の部屋のドアをノックするが不在。鍵はかかっておらず開けると3畳間、奥に窓とエアコンがあり、布団が敷いてあり、周囲には食べ物のごみや衣類が散らかっていた。本人は不在であり午後にまた出直すことにした。午後に再度、別の看護師と一緒に訪問すると今度は本人がいた。部屋はエアコンがついていて涼しい。患者は部屋の中から鍵を取り出し、サンダルを履いて部屋から出てきて、一緒に診療所へ向かった。午前は買い物に出ていたようだ。足が悪く診療所へ行くにもエレベーターで2Fに上がっていた。

診察の合間や患者宅に同行する間に看護師にも話を伺った。お一人はここで勤務するようになり十数年だという。患者には最初は落ち着かない様子の人も多いが、長く関わり続けることで落ち着いてくる場合が多く、そこにやりがいを感じるという。金子先生の働きぶりには「本当にすごい」と絶賛していた。どの看護師も患者への接し方が優しく、積極的にコミュニケーションをとっていた。なお、最近になり内科外来が2診体制になったことに伴い事前の看護師のバイタルチェックは省略しても良いと医師から言われたようだが、「話をしたいという患者が多いので復活させた」とのことだった。現在勤務している医師よりも看護師の方が勤続年数が長く、患者との継続的な関係性ができていることをうかがわせた。

・寿町内案内

午後に寿福祉プラザの職員の方に1時間かけて町内を案内していただいた。ご本人のことは詳しく聞けなかったが、長く町に関わり、その歴史と変遷をよく知る方である印象だった。個々の詳細は省略するが、簡易宿泊所と1Fや平屋に並ぶ飲食店、酒屋(書籍にも登場した酒屋で立ち飲みスペースがある)、ボートレース券売所、ゴミ捨て場、介護系事業所、共同保育所などの施設などを案内していただいた。いずれも、過去がどうであったか、そして今はどのような傾向になっているかを併せて説明していただき、書籍に登場した風景の面影をたどりつつ、現在はさらに高齢化の街へと変化してきた様子が伝わってきた。特に最近の簡易宿泊所は多様化しており、一部は外国人旅行者向けのホステルのようにもなっているという。

4.感想

今回の目的の1つ目である自身のSDHへの理解を深めるという点については、書籍と現場の視察を通して、戦後やその後の再開発、オイルショックなどの社会情勢の影響を人も町も受けながら変化にさらされてきた様子が非常に印象的だった。特にそれが繁栄している横浜市のすぐ隣で起きてきたことである点でも、人の健康と社会との関係は誰にとっても自分事なのだと再認識した。一方で、今回出会った医療職はじめとする方々は、目の前の方に真摯に向き合う姿勢を貫いていたし、そこに住む方々も様々な事情がありつつ今を生きている様子が強く伝わってきて、ある意味とても人間臭い現場であると感じた。これは家庭医が日々目にするものと何ら変わりはなく、家庭医ととても親和性が高い現場であると思う。

目的の2つ目である学生教育への活用については、選択CCで学生が実習する意義は大いにあると感じた。横浜の中心地にこのような町があるということや、来院する患者の多くがSDHと密接に関係したような問題を抱えていることだけでも衝撃は大きいだろう。金子先生をはじめ総合診療医が診療を担っており、現場での経験を学びに生かす実習になると思われる。一方で、寿町内だけにいると、この地域が受ける差別・偏見を認識しづらい可能性があるため、実習前後のガイダンス・振り返りや、今回私がさせてもらったように、様々な立場の方々から話を聞く機会があると良いかもしれない。

金子先生とセンター1F入り口前で

患者を自室まで迎えに行った簡易宿泊所とその並び。
外見上は比較的きれいな建物も多く、一見すると雑居ビルのようで簡易宿泊所だと分かりにくい。